僕と吃音との距離。①
吃音という発達障害になって、気づいてもう15年。
吃音という名前を初めて知って、もう8年。
今の僕は吃音と向き合えているのか。
結論を言うと、向き合えている。
と思っている。
もちろん吃音をもって生まれてきてしまったことへの悔しさ、健常者に対しての憧れや嫉妬、将来に向けての不安。
これらはもちろんあるし、これから先も消えることは無い。
それは変わらないけど、少しずつ、しっかりと1歩ずつ、僕と吃音の距離は縮まっている。
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最近、よく「辛い」「病む」「苦しい」といった旨のつぶやきを見かける。
人間関係はもちろんのこと、自分への嫌悪感なんかもあって、このようなつぶやきをしている人が多い。
他人からしてみれば弱音だと受け取れるだろうけど、僕は「必要な弱音」だと思う。
人はよく悩む生き物。
1人で抱え込んだり、人に相談したり、何かをして忘れたり。
そうやって悩みを軽くしていくもの。
でも吃音は少し厄介な悩み。
表面上では、現れないから他人から見るとわかりにくい。
人に相談しても、人を間違えれば有益な機会にはならないだろうし、そもそもいい相談相手でも悩みは消えないこともある。
しかも、吃音は治療をしない限り、無くなることはない。
もちろん治る保証もない。
だから1人で抱え込むことが多くなる。
学生時代の僕がまさにそうだった。
𓃟続く𓃟