課題と吃音と僕と。

吃音大学生のひとりごと日記。

吃音と僕との距離。③

その後、何とか、泣きながら沢山練習をして、無事クリアすることが出来た。

でも全て終わったのは、クラスの中でも遅い方だった。

早めにスルスルと終わっていくクラスメイトを見て、悔しいほど羨ましかった。

ここから少しずつ、吃音に蝕まれていった。

この段階で、言語聴覚士や医者に相談した人もいるだろう。

でも僕は出来なかった。

「吃音」も、「言語聴覚士」も知らなかった。

名前も分からぬ悩みの種を両親に相談することも出来なかった。

だから1人で抱え込んで、何とか友達と遊ぶ時間で、悩みを軽くして、日常を消化していった。

それでも授業の壁はまだやってくる。

吃音者なら誰しもが悩んだもの。

そう。国語の音読だ。

段落読みで、回ってくる順番に、心臓が忙しなく鼓動する。

ただでさえ多い方だった手汗が、勢いを増し、教科書がそれを吸っていく。

国語の物語などは好きだったが、国語は嫌いだった。

そして英語の時間。

週に一度のこの時間でさえ、僕にとっては恐怖と不安を掻き立てた。

英語の時間は、1対1で行う英会話やビンゴなどがある。

これは良いのだ。楽しかったし。

問題は、「伝言ゲーム」。

素早く、かつ丁寧に、後ろに伝えたければならない。

それが僕には無理だった。

3つに別れるチーム。

僕のチームはいつも遅かった。

「大丈夫、落ち着いて」と、言葉を投げかけてくれる友達の目には、少し怒りの表情が見てたこともあった。

自分のせいでみんなに迷惑がかかる。

九九をひたすら練習していた頃とは、別物の、さらに大きな不安感が僕を襲った。

それでも、学校に行かないなんてことはしなかった。

特にいじめがあった訳でもなかったし、学校自体は楽しかったから。

あと、学校に行かない選択肢を取るとなんか負けた気がした。

負けず嫌いだった僕にはそれが嫌だった。

小学校の卒業式。

出席番号は1番だったので、1番最初に卒業証書を受け取る。

その時の返事はそれほど詰まらなかった。

今思えば随伴症状の1種だった。

椅子から立ち上がりながら声を出せばスムーズに、返事ができた。

卒業証書を受け取って席に戻る僕は、内心ちょっと誇らしかった。

ここからさらに辛かった中学に上がる。

𓃗続く𓃗